家族鍋
「ただいま」
玄関先でそう言うと、リビングから真っ先にチワワが飛び出して駆け寄ってきた。
「お~ミルキー!」
尻尾を振って私を出迎えてくれたチワワを撫でていると、リビングから父が出てきた。
「おう、おかえり~」
「あ、ただいま」
なんのことはない、いつものやりとりのようだが、これが数ヶ月に一度しか交わされないやりとりになってもう3年ほど経つ。
就職して実家を出て一人暮らしするようになってから、年に数えるくらいしか実家に帰らなくなったが、帰省するたびに温かく迎えてくれる家族がいることを有難く思う。
まとわりつくチワワとともにリビングに入れば、キッチンから母が声をかけてくる。
「おかえり~」
まだ「いらっしゃい」ではなく「おかえり」と言ってもらえることに、妙に安心する。
時折、ふと、もし私が結婚して実家に帰省した時も「おかえり」と言われるのだろうか…それとも、その時には「いらっしゃい」になってしまうのだろうか…と思うが、あえて口に出したことはない。
今は「おかえり」と言ってもらえることを嚙みしめて、家族のありがたみを実感するのが幸せなのだから。
「あれ、お姉ちゃん、今日来るんだっけ」
私たちの声を聞きつけて2階からまだ実家暮らしの妹が下りてきた。
我が家は4人家族。私たち姉妹と両親で、今は妹と両親の3人暮らしになっている。
私の部屋は、まだそのままの状態で、手ぶらで立ち寄っても何不自由無いぐらい、一人暮らしのアパートに持っていかなかった衣類や雑貨が置きっぱなしになっている。
いつまでこのままなのだろうか。
この部屋も、結婚したら誰か別の家族が使うようになるのだろうか。
別に結婚する予定も無ければ、残念ながらそういう相手すらいないのに、最近は実家に帰るたびにこんなことを考えてしまう。
私は「居場所」を求めていて、その居場所が実感にあることを毎度確認してホッとしているらしい。
そんなことは勿論口には出さないけれど、私は実家に帰るたび、そんなことを考えていた。
「そろそろご飯にしましょうか」
母がそう言ったのを皮切りに、私と妹はテーブルの上に散らかったものを片付け、父は母の立つ台所へと向かった。
「お父さん、鍋敷き持ってって」
母のその言葉に、私と妹は「何鍋?」と反応する。
「普通の水炊き。いつものだよ」
我が家は大抵水炊きだ。
昆布で出汁を取り、野菜とタラやムツなどの魚を入れ、クツクツ煮込む。
時折、キムチチゲや、きりたんぽなどの変わり種も登場したが、率は低かった。
魚よりも肉派だった私と妹は、子どもの頃は我が家の「普通の鍋」があまり好きではなかったが、大人になると魚から出る出汁が昆布の旨味と相まってものすごく美味しいということに気付き、それ以来我が家の鍋にどっぷりはまってしまった。
特に、シメの雑炊が絶品なのだ。
他の鍋よりも水炊きの雑炊が、とにかく優しい味がして最高に美味しい。
食べ始める前からシメのことを考えて、唾液がじわりと滲み出てきた。
いつもの鍋
いつもの食卓
いつもの家族
どれもこれも馴染みあるものばかりだったが、テーブルの上には見慣れない器が並んでいた。
「これ、どうしたの?」
鍋を取り分けるための小さな器は、コロンとした可愛らしい、手作り感満載の味わいがある焼き物だった。
「それね、この前お父さんと沖縄に行った時に買って来たの。可愛いでしょ」
「へぇ~キレイ…」
私が知らないうちに、食器が新しくなっていて、ちょっぴり切なく思いながらも、実家を出るとはそういうことか、と妙に納得してしまった。
「早くアンタに見せたくてね~、うずうずしてたんだから」
母の嬉しそうな声に、私が一瞬抱いた切なさは吹っ飛んだ。
私に見せたいと思ってくれていたことが嬉しかった。
やっぱり家族だなぁ。
そう思うと、自然と笑みが零れた。
家族4人揃って囲む鍋は美味しくて、温かくて、体も心もポカポカになった。
会話も弾み、仕事の話や近況報告で盛り上がった。やはり鍋はこうでなくちゃ。皆で囲んで、皆で会話しながら食べる、これこそが鍋の醍醐味だ。
お待ちかねのシメの雑炊も、ペロリと平らげて、大きな段ボールからみかんを取り出して食べた。
特大サイズのみかん段ボールも、一人暮らしでは絶対買わないし、ネットに入ったみかんは高く感じて手が出せなかったので、久々のみかんの味を満喫した。
気取らずに、ありのままの自分で過ごせる場所で、年の瀬を過ごせる幸せ。
この幸せがいつまで続くか分からないけれど、そろそろちゃんと親孝行しないとな…と思いながら、私は2つめのみかんに手を伸ばした。